椎の森コース

’11、6.12(日)、この日は東海道本線をダイヤモンドクロスで横断していたという
摂津鉄道の遺構調査に行く予定やった。
帰りに、B級グルメツアーで使いたいけど、なかなか使えないでいる
福島にある、おでん専門店「花くじら」に寄ろと思っていたら・・・
なんと日曜日は定休日。

なので、近場をポタることにした。

雨雲レーダーでは14:30ごろから雨が降り出しそうなので
今日もスーパーママチャリにビニール傘とカッパを積んで出発。

コースは以前にも紹介した、「ねや川文化と歴史のみち」の椎の森コース。

スタート地点は伏越樋(ふせこしひ)。
伏越樋とは、サイフォンの原理を応用し、川の下を潜って用水を送る水路のこと。

寝屋川の東、木田村に用水を引くため、寝屋川の真下を掘りぬくいている。
天井川とはいえ、土木技術も低く、機械も無い江戸時代においては
大変な難工事やったやろう。

寝屋川をはさんで西の用水路側にまわってみる。

右の少しだけ下土管が顔をだしているのが、本来の取水口のようだ。
現在は左の四角い取水口がらポンプでくみ出している。

駅前の商店街を抜け東へ向かう。
この道はかつての交野街道だ。

市民会館を過ぎると道は上り坂になる。
スーパーママチャリはシングルスピード。
ああしんど。

すこし道を外れたところに秦の刀鍛冶屋敷跡がある。
住宅街のどまんなかで探すのに苦労した。

鎌倉時代、後鳥羽上皇が全国から有名な刀工を呼び集めて刀を造らせた。
その中に秦地区の刀鍛冶もいて、その刀鍛冶たちの屋敷跡と伝えられている。
このあたりには「鍛冶屋垣内」「献刀谷」といった地名が今も残っている。

街道からさらに東へ行くと熱田神社(太秦廃寺跡)がある。
うっそうとした椎の林に覆われていた。

街道へ戻り北へ向かう。
寝屋川を渡り、坂道を登ってさらに北に行けば
住宅地のど真ん中に大きな五輪塔がある。
秦河勝の墓と伝えられている。

この地域の名前でもある秦氏は渡来人集団で
河勝は聖徳太子のブレーンとして活躍したそうだ。

このあたりはこんな阪ばかり。
シングルスピードには向いていない。

さらに北へ行けば椎の社叢。

社叢とは神社の森の事で、春日神社の境内には樹齢数百年の椎の大樹が群生してる。
社殿を覆う大樹は陽光をさえぎり、神社の静寂をいっそう深めている。
大阪府の天然記念物に指定。

さらに北へ行けば国松の弘法井戸。

江戸時代の「河内名所図会」に「三ッ井 都村の東、三ッ井村にあり。二ッ井は国松村にあり。一ッ井は高宮村にあり」
と市内三ヶ所の名井が紹介されている。現在の地名三井は井戸に由来するものやったんか。

コースは西に向きをかえ、南前川に沿って行く。

南前川と寝屋川が合流するあたり。
ここにも伏越樋がある。(A)

現在の国松町のあたりは南前川と寝屋川に囲まれた低地帯で
寝屋川の川底が堆積物で高くなるにつれ排水が悪くなり洪水に苦しめられてきた。

そこで南前川の手前から川底を抜いて反対側にある友呂岐用水路へ排水する伏越樋が作られた。
国松町の農民は洪水から解放されたけど、悪水(排水)を流されてくる隣村の友呂岐水路側との紛争が絶えなかったという。

そしてなんと、土汽車のときに見つけた暗渠は
伏越樋の排水を友呂岐水路へ導くものやった!(B)

地図は伏越樋から友呂岐水路までの排水の流れを赤線であらわしたもの。

銭湯めぐりでも紹介した、寝屋川市駅と香里園駅の間にかつてあった
豊野駅の遺構。

うーん、近所にもいろいろ面白いところがあるんやなあ。
来週こそは摂津鉄道跡に行きたい。

inserted by FC2 system