ホハレ峠・八草峠

廃道探索家は言うにおよばず、サイクリクトをも魅了し続けた、ホハレ峠。
だが、この峠道をトレースできた人間は、3人しかいない。

ホハレ峠を世に知らしめたのは、私の知る限りでは
「旧道倶楽部」、というより今は「日本の廃道」編集者といった方が、知っている人も多いだろう。
そのnagajis氏だ。(たまに、軟式にも来てくれはります。)

ホハレ峠は、私のパスハンティングの最終目的の一つだ。
しかし、自分ごときが行く場所なのか、そうも思った。
けれど、せめて旧峠の地蔵さまを
一目見てみたい 目に焼き付けておきたい。
そう思い、アタックしたのが’10年の3月。

みごとな までに雪に阻まれ、到達できず。
ここが豪雪地帯であることすら調べずに行くという、浅はかさ。

そして、万全を期して向かえた今年の春は
天候に恵まれず、断念した。

藪が枯れ、雪が降る直前の’11.11.13(日)
天候に一抹の不安が残る中
ホハレ行きを決行した。

メンバーは、Sくん、Tさん。

そして、高校時代に共に四国の地芳峠や佐田岬を走ったSkくん。
かれは現在岐阜に住んでおり
32年ぶりに一緒に行くサイクリングとなる。
今回のもう一つの目的ともいえる。

前々回から、一緒にホハレを目指したKくんは
残念ながら、急な仕事でいけなくなってしまった。
ある意味、ホハレ峠に一番似合う男やったんやけど。

6時に自宅を出て、6:20いつものセブンイレブンでSくんと合流。
名神を走り、桂川PAでTさんと合流。
順調に木ノ本まで来た。

ハイエースからチャリを降ろし出発する。
遠くに見える山は雨雲か、それとも霧がかかっていて
山の上は見えない。

木之本の町は、なかなか趣があり
通過してしまうのがもったいない。

緩勾配のR303を登っていく。

金居原で休憩する。
旧家は柱や梁(はり)がベンガラで赤く塗られている。
近江商人の富を表すものだ。

う、少し雨が降ってきた。

そして金居原を過ぎたあたりで
とうとうカッパが必要なほどの雨が降り始める。

雨のため、見えにくくなったGPSを覗き込めば
R303旧道の入り口を通り越してしまったようだ。
下に旧道が見える。

そして、トンネル手前が八草峠への分岐であることを言い忘れたTさんは
道なりにトンネルを越えてしまった。
このルートは、トンネルの外でも携帯電話はずっと圏外。
Tさんを呼び戻すことはできない。

しかし、この天気で通行止めの八草峠に
みんなを連れて行ってもよいのか?
と、迷うこともあって、とりあえずは
長い長い、八草トンネルを抜ける。

峠上り口を、通り越してしまったTさんは
気の毒なぐらいに恐縮されてしまって
私の迷いがまねいた結末で、Tさんに罪は無い。

滋賀側の通行止め(写真上)より、岐阜側から登る方が
危険度が低いと判断し、岐阜側から八草峠を目指すことにした。



しかし、この判断は、良かったのか悪かったのか。

緩勾配の旧道然ぜんとした登りが延々と続く。

知らぬ間に、結構な高度を稼いでいた。

道はあちこちで、崩落が進行していた。

  

やっとのことで峠に到着する。
長い長い峠道やった。

来た道を下っていくけれど
これまた下りやのに長い。
調子に乗って下っていたら、ハネで足やおしりが、びしょびしょになっていた。

Skくんとの待ち合わせ時間を、すでに30分も過ぎている。
川上村に向かって下っていく。

結局Skくんとは1時間遅れで合流。
ひさしぶり!

民俗資料館の軒先を借りて弁当を食べる。
資料館のおばちゃんが、ストーブやらお茶を持ってきてくれた。
Skくんとのつもる話。

予定より1時間遅れで出発。
旧ホハレ峠を目指す。

昨年の3月はこのあたりで、雪に阻まれた。

登るに連れ勾配が増し、ついにはインナーの出番。

雄大な美濃の山々が連なる。

そしてついには、舗装も途絶えた。

予想していた以上に、長く・・・そしてガレていて
「何がロードタイヤで大丈夫やねん」と自分につっこみながら
登っていく。
ロードのTさんは、とうとうビンディングシューズを脱いで
スニーカーに履き替えていた。すみません。

そして、峠に到着する。
ここか!ここが旧ホハレ峠か!

峠に到着したTさんは
この写真に「O(私)のロードタイヤで行けるは、アテにならない。」と
吹き出しを入れておいてくださいよ。と言われた、わははは。

Sくんも到着。

地蔵さまは!?

あった!
これがホハレの地蔵様。

やっとこの目で見ることが出来た。

気が付けば15時。
そろそろ日没時間がきになるころ
旧ホハレ峠をあとにする。

実はホハレ峠はもう一つある。
現在、国土地理院の地図に載っているのが、(新)ホハレ峠だ。

一般的な峠では、旧峠の方が廃道になっている場合が多いのだが
ホハレに関しては逆だ。
昭和30年、王子製紙がパルプの原料として
木を切り出すために車道を通した。

これが現在、国土地理院の地図に載っているホハレの峠道で
数年前までの地図では実線道として描かれており
これを信じて訪れたサイクリストは、全員魔の手にはまった。

実際には、完膚無きまでの廃道で
nagajis氏をもってしても
「これ以上行けば間違いなく命が一つ減る」と言わしめたほどの廃道だ。
豪雪地帯であるため、雪の重みで木々が真横に生え
行く手を阻む。

写真左下から左へ曲がる道が
旧ホハレ峠への道、そして右の藪こそが王子製紙道跡への入り口だ。

この時期にしては濃い藪をぬって前進する。

チャリがツルに引っかかり、思うように進むことができない。

私が立っている斜面の右の藪こそが路盤跡だ。
とてもじゃないが、進入する気すらおきない。

やはり私ごときが挑むには、ハードルが高すぎた。
冒頭で述べた通り、この峠道を完璧にトレースした人は、この世に3人しかいない。

私は廃道探索家ではないので
はじめからそのつもりもないけれど、せめて約300m先の峠には立ちたい。

しかし、初雪が半月後には降ろうかという、この時期ですら
想像を絶する藪。

しかもここはまだ路盤が見えているけれど
すぐに道の形跡すら無くなる。

早々と新ホハレをあきらめ、来た道を下る。

 

こんなに登っていたのか!
と思いながら、峠道を下り降りる。
雨はあがり、ところどころ青空がのぞきだした。

下りきったところで岐阜側へ下るSkくんとはお別れ。
また、どっか行こなー。

 

なんとか日没前に、駐車場までたどりついた。

雄大かつ走り答えある峠やったけれど
ホハレ峠のリベンジは、完了したのだろうか・・・

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